- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

親鸞の信仰と呪術2018年08月06日 21:07

 著者は「筑波大の先輩だー」って思ってよく見たら、後輩でした・・(ちなみに第二学群の日日)。今井雅晴門下生。
 呪術が常識で日常だった時代の親鸞聖人の生活と信仰。思想的な探求だけじゃなく、文献資料からの行動分析的な視点が面白かったです。でも、なじみのない史料からの引用が多くて、ちょっと難しかった。時間できたらまた読もう!
 現代社会はある意味、呪術的になっている気がする(みんな自分の思い通りになると信じすぎ!)ので、参考になるところ多い!・・・かも?^^;

小山聡子、親鸞の信仰と呪術-病気治療と臨終行儀-、吉川弘文堂(2013)
親鸞の信仰と呪術
第一章 病気治癒と臨終勤行
  一 護摩修法による病気治療
  二 病気治療における憑座と憑依
  三 臨終勤行の成立とその影響
第二章 法然の門弟の病気治療とその臨終
  一 法然による病気治療とその臨終
  二 津戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)の信仰と自害往生
  三 証空の病気治療と臨終への姿勢
第三章 親鸞の他力信仰と呪術
  一 親鸞の教えと門弟からの異義
  二 親鸞の病気治療と経典読誦
  三 親鸞聖人の来迎観と臨終のあり方
第四章 親鸞の妻、子どもの信仰
  一 恵信尼の極楽往生への不安
  二 東国における善鸞の信仰と布教活動
  三 覚信尼における親鸞の信仰の受容
第五章 親鸞の子孫の信仰
  一 覚如と自力信仰
  二 存覚と自力信仰
  三 晩年の存覚と『看病用心鈔』の書写

あなたの脳のはなし2017年10月18日 19:47

デイヴィッド・イーグルマン 大田直子訳、あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎、早川書房(2017)
あなたの脳のはなし

 「面白そうな脳科学の本が出てる!」と思って読み始めましたが、、、すごすぎる。
 脳神経科学は測定技術の開発にともなって、近年急速に発展してきた分野です。自我とか自意識とかが如何に頼りないものか、幼少時はもちろん十代の脳が如何に不完全で、それゆえ周りの環境とか経験がどんなに重要か思い知らされます。
 様々な研究の実験結果を引用しているので、専門的すぎないように気を使って書かれてあるといっても、慣れないと難しく感じるかもしれませんが、多くの人に読んでほしいです。特に親とか教師とか。まだまだ検証のいるものも多いのでしょうが、驚きの話が満載です。

「人間の脳の構築プロセスには25年かかることがわかっている。(中略)10代の若者が世界をどうとらえるかは、予定どおりに進む脳の変化の結果である。その変化のせいで若者は自分を意識し、危険を冒し、仲間のための行動に走りがちになる。世界中のいらついている親に伝えたい重要な話がある。10代の若者の人となりは、単なる選択や態度の結果ではなく、神経が必然的に大きく変化する時期の産物なのである。」ー「10代の時期」より

「外の世界を直接経験してるという感覚があっても、私たちの現実は詰まるところ、電気化学的信号という知らない言語を使って暗闇のなかで構築されているのだ。(中略)
 では、現実とは何なのか? あなたは見ているだけで、消すことができないテレビ番組のようなものだ。ありがたいことに、最高におもしろい番組を放送している。それはあなただけのために編集され、カスタマイズされ、映し出されているのだ。」
ー「ストーリーテラー」より

「たとえば、人はそれぞれ自分なりに衝動を抑制しようと苦労する、極端な場合、最終的にその場の衝動的渇望の奴隷になってしまうおそれがある。(中略)アイデンティティはひとつだけでも、心はひとつだけではない。あなたは競いあうさまざまな欲求の寄せ集めなのだ、脳内で選択肢がどう勝負をつけるかを理解することによって、私たちが自分自身のために、そして社会のために、より適切な決断を下せるようになる。」ー「決断と社会」より

「自分は皮膚を境に終わっていると、あなたは思っているかもしれないが、あなたの終わりと周囲の人たちの始まりを区別する方法はないと感じられる。あなたのニューロンと地球上のあらゆる人々のニューロンは、巨大な変化するスーパー生命体のなかで相互作用している。(中略)私たちは互いに互いを必要としているのだ。」ー「公平性の差」より

 でも、仏教を勉強している人には「どっかで似たようなこと聞いたな〜?!」ってところが多々ありますよ!

 第1章 私は何ものか?
      未完成で生まれる
      幼少期の刈り込み
      自然のギャンブル
      10代の時期
      成人の可塑性
      病気による変化
      私は私の記憶の総和なのか?
      記憶は誤りやすい
      老化する脳
      私は知覚している
      脳は雪の結晶のよう
 第2章 現実とは何か?
      現実のイリュージョン
      現実認識
      私は失明していたが、いまは見える
      見るには目以外のものも必要
      視覚は努力を要しないように思えるが、そうではない
      五感の時間合わせ
      感覚が遮断されると、ショーは止まるのか?
      予想を見る
      内部モデルは低解像度だがアップグレード可能
      薄切りの現実
      あなたの現実、私の現実
      脳が語ることを信じる
      時間のゆがみ
      ストーリーテラー
 第3章 主導権は誰にある?
      意識
      意識にのぼらないが活動する脳
      脳の配線にスキルを焼きつける
      自動操縦で動く
      無意識の深い穴
      なぜ私たちに意識があるのか?
      意識が行方不明になるとき
      では、主導権は誰にあるのか?
      自由意志の感覚
 第4章 私はどうやって決断するのか?
      決断の音
      脳は対立からつくられたマシン
      体の状態は決断の助けになる
      未来への旅
      現在の力
      現在の力に打ち勝つーユリシーズの契約
      意思決定の目に見えないメカニズム
      決断と社会
 第5章 私にあなたは必要か?
      自分の半分は他人
      周囲の微妙な信号
      共感の喜びと悲しみ
      適者生存を超えて
      外集団
      公平性の差
 第6章 私たちは何ものになるのか?
      柔軟な計算装置
      周辺装置にプラグイン
      プラグ・アンド・プレイー超感覚的未来
      感覚拡張
      よりよい体を手に入れる
      生きながらえる
      デジタルの不死
      意識に身体的要素は必要か?
      人工知能
      コンピューターは考えられるのか?
      総和より大きい
      創発特性としての意識
      意識には何が必要なのか?
      意識のアップロード
      私たちはすでにシミュレーションのなかで暮らしている?
      未来へ


バウッダ2017年10月15日 18:47

    中村 元・三枝充悳、バウッダ[佛教]、講談社(2009)
バウッダ

 原著は1987年刊行ですが、これはそれを文庫本化したものです。500超ページ、1,450円の大著。
 バウッダ・・・サンスクリット語で「仏の教えを信奉する人」の意
「本書は、仏教について、その起源から現代に至るまでを総覧するものである」中村 元
「わが国の伝統教学はその配慮を怠り、関心さえ示さず、しばしば偏見と誤解とを交えた仏教が氾濫して、現在もなおそれが喧伝され」三枝充悳
「誤解と偏見に満ちた教学により誤伝されてきた釈尊の思想の壮大な全貌と、初期の仏教の発生から大乗仏教、密教へと展開する過程を、膨大な経典群から探求」裏表紙あおり
という意欲作です。ちょっと煽り過ぎかとも思いますが・・・

 目次です。
第一部 三宝-全仏教の基本
 仏教徒の標識「三宝」/仏/法/僧
第二部 阿含経典-釈尊の教え
 第一章 阿含経とは何か
  序節 釈尊とその時代
  第一節 阿含経について
  第二節 阿含経のテクスト成立について
 第二章 阿含経のテクスト
  第一節 阿含経のテクストの概要
  第二節 阿含経テクストの検討
 第三章 阿含経の思想
  第一節 阿含経の基本的思想
  第二節 阿含経の諸思想
第三部 大乗経典-諸仏・諸菩薩の教え
 第一章 大乗仏教の成立
  第一節 大乗仏教とは何か
  第二節 大乗仏教の成立
 第二章 菩薩
  第一節 菩薩という述語
  第二節 大乗の菩薩
 第三章 大乗経論とその思想
  序節 「経」と「論」
  第一節 初期大乗仏教
  第二節 大乗仏教中期・後期
  第三節 大乗文化
第四部 「宗教」と「哲学」の意義
第五部 経典読誦のすすめ


日本の終戦記念日2017年08月15日 22:59

 イギリスの会社が作って、世界的に大ヒットしているという歴史の本。第二次世界大戦のページでこの絵を見て、ちょっとした違和感が・・・。
 しかし、間違ってはいないし、これが世界共通の認識ですかね。だとしたら、
「昭和天皇率いる大日本帝国は太平洋戦争を始めたが敗れて滅亡した。その後、昭和天皇を象徴とした日本国が成立した。」というのは、他国にしてみれば相当奇異に見えるでしょうね。





儒教・仏教・道教2017年06月16日 00:13



 6〜7年前に購入したのですが、予想していたのとちょっと違っていて、本棚の肥やしになってたものを読みました。
 エッセイ風で軽妙な語り口が、今回は気分にあっていました。(笑)
「シンクレティズム(syncretism)融合、混成、ごたまぜ」をキーワードに、東アジアの宗教を読み解こうというもので、大学での専攻は「フランスの宗教」という筆者の論が展開されていきます。
 仏教側のテーマとしては『盂蘭盆経』がよく出てきます。理由はお察しのとおりです!?親鸞聖人も取り上げられています。
 筆者が引用している村山吉廣氏『中国の思想』の文、
「西洋かぶれの人々は、中国の思想を解釈するのに西洋哲学の概念をもってしようとする。(中略)それらは世間では表題のめずらしさの故に何かすぐれた革新的な内容のもに考えられ、世に迎え入れられることとなったが、実際には学問の進歩に貢献することの少ない仕事であった」が身に沁みました。私もそういうのに飛びついちゃうんですよねぇ・・・

第一章 シンクレティック東アジア
第二章 かばいあう親子のどろぼう
第三章 翼をなくした天女たち(上)
第四章 翼をなくした天女たち(下)
第五章 福禄寿、怨恨、呪殺
第六章 草も木もみな仏になる
第七章 スモモの下で世直しがはじまる
第八章 彼らに永遠の休息をあたえたまえ
第九章 東アジアの思想空間へ

参考文献
菊池章太、儒教・仏教・道教-東アジアの思想空間、講談社(2008)

『歎異抄論釈』2017年02月25日 22:01


       佐藤正英、歎異抄論釈、青土社(2005)

 すごい本でした。著者が唯円述作とされる『歎異抄』「倫理思想史としてのテクストとしての解釈」を試みて、文章を逐次丁寧に検討した研究結果です。その中で、いわゆる「蓮如本(現在残っている『歎異抄』の元)」は「原本(未発見)」と構成に相違があるということで、その「原形」が提示されています。
 大まかなところを簡単に言うと、唯円が当時の異義を正す『異義条々(著者の命名)』親鸞聖人の言行録としての『歎異抄』(異義条々の付録)2冊だったものを、蓮如上人が一綴りにした(しかも付録の「歎異抄」の方を上にした)のが今の形ということです。
 つまり、現歎異抄の10条後半部分が『異義条々』の序文にあたり、現11条〜18条と、後序の前半部分までが1冊目。現後序の「露命わづかに-」からを序文とし、それに漢文序が続き、現歎異抄の1条〜10条の前半までが「大切の証文ども」となり「なづけて歎異抄というべし」の2冊目。こうすると従来指摘されてきた問題がいろいろ解決して、なんだかすっきりします。すごい。

 これを聞いて「え〜、順番変えるとか、そんなことありえるの?」と思うかもしれませんが、ありうると思います。というか、してました(笑)。参考にする文献で、頻繁に参照する章を一番上に持ってきて、かつ紛失を防ぐために前のページを最後にくっつけて持ち歩いてました。蓮如上人は、唯円当時の状況批判より、親鸞聖人の言行録の方が好きだったのでしょう。

目次です(カッコの中は現歎異抄の相当部分。私記入)
第一章『歎異抄』の成立
第二章原形復元の試み
第三章『歎異抄』註釈
「異義条々」
 序(10後半)
 第一条(11)
 第二条(12)
 第三条(13)
 第四条(14)
 第五条(15)
 第六条(16)
 第七条(17)
 第八条(18)
 後記(後序前半)
「歎異抄」
 序(後序-露命わづかに〜)
 漢文序
 第一条(1)
 第二条(2)
 第三条(3)
 第四条(4)
 第五条(5)
 第六条(6)
 第七条(7)
 第八条(8)
 第九条(9)
 第十条(10)
 流罪目録
第四章『歎異抄』の思想
あとがき
索引
関連地図


『往生要集を読む』2017年02月12日 23:13

 今年の報恩講のお取次での、源信和尚(浄土真宗七高僧の第六祖)の話題の参考にしました。
       中村 元、往生要集を読む、講談社(2013)

 『バーナード嬢曰く。』に「ネタ元の本を読んでない云々」という話がありますが、『往生要集』読んでますよ! 一応・・・。
目次です。
第一章厭離穢土
第二章欣求浄土
第三章極楽の証拠
第四章正修念仏
第五章助念の方法
第六章別時念仏
第七章念仏の利益
第八章念仏の証拠
第九章往生の諸行
第十章問答料簡
結語:往生要集に対する評価


『沈黙の春』2016年12月25日 18:56


レイチェル・カーソン著・青樹簗一訳、沈黙の春、新潮社(1974)

  「のうばけ(農芸化学)やるなら読んどけ!」
 と言われて、初めて読んだのが20年以上前。原著は1962年出版で、和訳が1964年。こっちに帰ってきて購入した新装版が6年前の73刷だったので、りっぱな「古典」です。
ちなみに「古典」とは「いつの世にも読まれるべき、価値・評価の高い書物(広辞苑)」

 アメリカで除草剤、殺虫剤、殺菌剤が撒き散らされた結果、どれだけの魚や鳥が死滅し、街の樹木が損なわれ、家畜が汚染されたか。そして、いかに業者、官公庁そして行政が無責任かという「記録」です。

 「今はそんなことないよ」と言われるかもしれませんが、いくつかの単語を変えれば「何にも変わっていない」と思わざるをえないし、耐性生物や遺伝子組換えの議論なんかを見ていると全く先が見えないと感じざるをえません。

 これを読むと、私たちの世代(以降)は「健康で長生きできない」なと確信させられます!?

目次
 一、明日のための寓話
 二、負担は耐えねばならぬ
 三、死の霊薬
 四、地表の水、地底の海
 五、土壌の世界
 六、みどりの地表
 七、何のための大破壊?
 八、そして、鳥は鳴かず
 九、死の川
 十、空からの一斉爆撃
 十一、ボルジア家の夢をこえて
 十二、人間の代価
 十三、狭き窓より
 十四、四人にひとり
 十五、自然は逆襲する
 十六、迫り来る雪崩
 十七、べつの道

猫の草子2016年11月28日 06:34

 『おとぎ草子』に含まれる「お話」です。「おとぎ草子とは、ふつう、室町時代を中心に栄えた絵入りの散文作品」で、「主として女性や児童、新興庶民たちを読者とする」読み物だそうです。有名な『一寸法師』『鉢かつぎ(姫)』などがそうです。
 そのなかで『猫の草子』は、江戸時代初期の作品と見られ、『おとぎ草子』の成立時期の広範さを示す作品ということです。

 あらすじは、
 慶長7(1602)年8月に京の町で「猫の綱を解いて自由にせよ」という法令が公布された(実話;それまでは猫は首を括られて飼われていた)。その結果、京のネズミは甚大な被害を被り、ある高名な出家者の夢枕に僧形のネズミが現われてその惨状を訴える。出家者はネズミが悪戯するのも迷惑だと答える。

 次の夜、今度はトラ猫が夢枕に現れてネズミの方だけでなく、猫の言い分も聞いてくれと話しを始める。聞き終わった出家者は殺生は如何なものかと言うが、猫はネズミを食べるのだけは許してくれと訴えるところで目が覚めた。
 その後、例のネズミが再び夢枕に現れて、京中のネズミが近江国のあちこちに分散して身を隠すことに決めたという。出家者は不思議な夢を見たと友人に話すが、その友人は確かに京のネズミは少なくなったと得心し、この政治による平和な世の中を礼賛した。


 面白いのは話の中に仏教がいろいろ出てくることです。
 僧形のネズミは縁の下で出家者の説法を日々聴聞していて「慚愧(ざんき)懺悔(ざんげ)」を言い、出家者が語る言葉には「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」「一念弥陀仏即滅無量罪」「唯心の弥陀、己心の浄土なり、ここを去る事遠からず」(観無量寿経による)といった語句が経典から引用されています。また「南泉斬猫(なんせんざんびょう)」という禅宗の公案がでてきたり、「殺生ばかりすれば、その因果によよって死んでは生まれ、生まれては死にを繰り返し、流転をくりかえして逃れられない。一切が無であることを悟ることによって、生死やいっさいの諸悪から離脱できる」といった調子です。ただし、訳註者によると、仏教教理を説く事が主眼ではなく俗と聖の混在を楽しむ修辞として用いられているそうですが、そうは言っても読み聞かされた子ども達は仏教知識のようなものを身につけていったことでしょう。

 さらに面白いのが、僧形のネズミが若いネズミに忠告すると、逆ギレして「もっと悪い事してやる」と言うとか、「今の若いやつらは異様な格好を好み、悪さばかりして始末に負えない」と嘆いたりとか、いつの時代もたいへんだな〜(笑)

 ところで、
 この話で連想するのが、解説でも触れられていたのですが、「生類憐れみの令」です。元禄時代に将軍徳川綱吉によって公布され、江戸を恐怖の底におとしいれた、あの「悪法」。
 『猫の草子』「(猫を綱から解き放ち自由にした)こういう政治は、昔から今までめったにないことです。そのおかげで帝も豊かに栄え民もまた同じく栄えて、永久にめでたい事続きで、のんびりとしていられるというものです。」で締められています。 ここからは私の妄想ですが、綱吉は幼少の頃、猫好きの乳母か誰かに繰り返し『猫の草子』を読み聞かせられていたのではないだろうか。その結果「猫(動物)を大事にする→世の中が栄えて平和になる」って考えに染まったんだったりして!?

参考文献
 桑原博史(訳注)、おとぎ草子、講談社学術文庫(1982)

夢と死 不死の神方2016年09月24日 22:33

 最初この書名を見た時、何故かダリの「目覚める1秒前、ザクロをまわるミツバチの飛行によって生じた夢」の絵が思い浮かびました・・・。
 副題の「不死の神方(しんぽう)」とは、親鸞聖人が『教行信証』の『信巻』に「大信心は、すなわちこれ長生不死の神方」と書かれている部分で、「「生死(しょうじ)(迷い)を超えて無量寿の<いのち>を得る不可思議な方法」ということ」だそうです。
 親鸞聖人と「夢告(夢のお告げ)」は切っても切れないもので、『御絵伝』にもいくつも描かれています。本書は恵信尼公と親鸞聖人の夢(夢告)についてと、「死」についての考察の二部構成となっています。

       藤田徹文、夢と死 不死の神方、探究社(2015)
夢と死 不死の神方

目次
 はじめに
 一部 夢
  第一章 夢とは
  第二章 恵信尼公の夢(実夢)
  第三章 親鸞聖人の夢(夢告)
   一、十九歳の夢告
   二、二十九歳の夢告
   三、五十九歳の夢
   四、八十五歳の夢(夢告)
  第四章 わたしの夢
   一、青年期の夢
   二、壮年期の夢
   三、高齢期の夢
   四、睡眠時の夢

 二部 死
  第一章 死とは
   一、死ということ
   二、死因(死縁)について
   三、孤独死ということ
  第二章 死後について
   一、死後の存在
   二、死後の継続
   三、死と往生
   四、三世(時間)と信心
  第三章 親鸞聖人に学ぶ
   一、同信同行の臨終
   二、親鸞聖人の臨終
 あとがき