- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ
関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ
2014 ― 2014年01月01日 20:38
去年は朝起きたら雪が積もっていましたが、、、、
今年はなんだか暖かい朝でした。が、曇りで日が照らない&風が強くなり、やっぱり寒かったです。
さて、新しい年が始まりました。
「一年の計は元旦にあり」と申しますが、元旦の前には既に多くの予定が決まっているのが現代社会ですよね。
私もお参りされる方を待機している時間を使って、新しい手帳とカレンダーに今年の予定を書き写すことが帰って来てからの元旦の過ごし方です。
「法語カレンダー」を真宗教団連合が毎年出版しているのですが、今年は羽尻利門氏のイラストが使われています。「昭和」を彷彿とさせる懐かしい感じの絵柄です。
なにかと気忙しい世の中ですが、このカレンダーを見ながらのんびりする時間も必要なのかも、と思っています。
今年はなんだか暖かい朝でした。が、曇りで日が照らない&風が強くなり、やっぱり寒かったです。
さて、新しい年が始まりました。
「一年の計は元旦にあり」と申しますが、元旦の前には既に多くの予定が決まっているのが現代社会ですよね。
私もお参りされる方を待機している時間を使って、新しい手帳とカレンダーに今年の予定を書き写すことが帰って来てからの元旦の過ごし方です。
「法語カレンダー」を真宗教団連合が毎年出版しているのですが、今年は羽尻利門氏のイラストが使われています。「昭和」を彷彿とさせる懐かしい感じの絵柄です。
なにかと気忙しい世の中ですが、このカレンダーを見ながらのんびりする時間も必要なのかも、と思っています。
穏やかなお正月でした ― 2014年01月06日 22:58
あちこちでの様々な出来事が伝えられていましたが、こちらのお正月は穏やかに過ぎてゆきました。
年始の忙しさも一段落しましたが、次は「報恩講」に向けての準備です。
自坊の報恩講は手勤めな(つまり私が法話する)ので、内容を考えて準備をしないと・・・。一座二席(約40分×2)で14日のヒル・ヨル、15日ヒル・ヨル、16日のヒル(御満座)の五座の勤めです。結構たいへんです。。。
年始の忙しさも一段落しましたが、次は「報恩講」に向けての準備です。
自坊の報恩講は手勤めな(つまり私が法話する)ので、内容を考えて準備をしないと・・・。一座二席(約40分×2)で14日のヒル・ヨル、15日ヒル・ヨル、16日のヒル(御満座)の五座の勤めです。結構たいへんです。。。
コンペか研究発表か?-報恩講法話 ― 2014年01月09日 21:23
報恩講の法話ですが、今年は趣向を変えて(慣れて来たのもあり)、プロジェクターでスライドを映しながらしようかと・・・。
御絵伝をメインに据えながら、親鸞聖人の御一生を改めてお話しできれば。てゆーか、温故知新?(能登麻美子ふうに)
昔取った杵柄で!、ってプレゼンテーションソフトでスライド作成中ですが、日にちが迫ってきて結構焦り気味です・・・^^;
御絵伝をメインに据えながら、親鸞聖人の御一生を改めてお話しできれば。てゆーか、温故知新?(能登麻美子ふうに)
昔取った杵柄で!、ってプレゼンテーションソフトでスライド作成中ですが、日にちが迫ってきて結構焦り気味です・・・^^;
報恩講終わりました ― 2014年01月18日 21:09
3日間、五座十席の長丁場でした(といっても一席30分です)が、無事終わりました。
やっぱり、研究発表みたいになってしまいました。(汗っ)
今回はとにかく準備に時間がかかりました。静止画像だけではさみしいので、アニメーションつけたりして余計に(な?)時間が・・・。
研究所に勤めていたときは、WindowsのPowerPointだったのですが、今回はMacの「Keynote」を使いました。
Keynoteで本格的なプレゼンを作ったのは初めてでしたが、使いやすくて良かったです。
デジカメで御絵伝写して、PSで加工してコピペして・・・・
↓こんな感じでした。
上の窓の開いた明るい絵のところがズームしてきて、中心の大きな絵になる。次いで「名前」がクルクルしながら現れる。とか・・・。
(凝り過ぎだったかしら?笑)
しかし、毎度のことながら、
私の方が勉強させていただきました。
三千大千世界(1) ― 2014年01月24日 20:35
さて、
私は全てのものを愛する博愛主義なので、「仏教」「生理学(脳・神経)」「心理学」の本を同時に(交互に)読んでいる(合間に動物行動学みたいな本とかも)のですが・・・・
(よーするに、集中力と節操がない)
つくづく、(以前にも書きましたが)我々は「自分の脳内世界」に住んでるんだな〜と思います。もちろん物質的なものは一つ(共通)なのですが、その「捉え方」で個人のバリエーションができるというか。
例えば、
二人で同じ風景を見ていても、興味を持っているものによって認知・記憶される事柄(質・量)が変わります。ということは、後でその風景を思い出したときに、その二人の見た風景(世界)は違ったものになります。そんなにかけ離れたものにはならないと思いますが、
『「同じ風景を見てたのだから、私と同じだろう」と思ったら大間違い』
くらいには、違っている方が多いと思います。(興味の対象の傾向が極めて近いと、同じような「脳内世界」になる可能性は当然ありますが。)そうした積み重ねで「私が生きている世界=自分の脳内世界」がつくられていく・・・。
ニュースを見てると、「なんでこんな事するんだ??」って事ばかりですが、みんな「自分の脳内世界」に生きているからそうなっているんでしょう。
その「脳内世界」が「脳内世界の中央値」(多くのヒトの脳内世界が極僅かな違いしかない常識的世界とでも言いましょうか)とずれている度合いが大きいほど「理解できない変な人」になっちゃうんじゃないでしょうか? (時代や地域で「常識が違う」のもこういった理由からかな〜?)
でも、本人は「自分の脳内世界」で一生懸命生きているのでしょう。
会社でもそういうヒトいませんか?
もちろん、自分の「自分の脳内世界」の方が中央値からかけ離れているという可能性もお忘れなく。
私は全てのものを愛する博愛主義なので、「仏教」「生理学(脳・神経)」「心理学」の本を同時に(交互に)読んでいる(合間に動物行動学みたいな本とかも)のですが・・・・
(よーするに、集中力と節操がない)
つくづく、(以前にも書きましたが)我々は「自分の脳内世界」に住んでるんだな〜と思います。もちろん物質的なものは一つ(共通)なのですが、その「捉え方」で個人のバリエーションができるというか。
例えば、
二人で同じ風景を見ていても、興味を持っているものによって認知・記憶される事柄(質・量)が変わります。ということは、後でその風景を思い出したときに、その二人の見た風景(世界)は違ったものになります。そんなにかけ離れたものにはならないと思いますが、
『「同じ風景を見てたのだから、私と同じだろう」と思ったら大間違い』
くらいには、違っている方が多いと思います。(興味の対象の傾向が極めて近いと、同じような「脳内世界」になる可能性は当然ありますが。)そうした積み重ねで「私が生きている世界=自分の脳内世界」がつくられていく・・・。
ニュースを見てると、「なんでこんな事するんだ??」って事ばかりですが、みんな「自分の脳内世界」に生きているからそうなっているんでしょう。
その「脳内世界」が「脳内世界の中央値」(多くのヒトの脳内世界が極僅かな違いしかない常識的世界とでも言いましょうか)とずれている度合いが大きいほど「理解できない変な人」になっちゃうんじゃないでしょうか? (時代や地域で「常識が違う」のもこういった理由からかな〜?)
でも、本人は「自分の脳内世界」で一生懸命生きているのでしょう。
会社でもそういうヒトいませんか?
もちろん、自分の「自分の脳内世界」の方が中央値からかけ離れているという可能性もお忘れなく。
三千大千世界(2) ― 2014年01月27日 20:50
仏典に「三千大千世界」という言葉があります。
古代インドでは、須弥山(しゅみせん)を中心として我々の住む世界があるという世界観をもっていました。(「金輪際」のところで触れましたが)
その「須弥山世界」を一つの世界として、1000集まったものを「小千世界」、さらにこの小千世界を1000集めた世界を「中千世界」といい、中千世界をさらに1000集めたものを「大千世界」といいます。
この大千世界は,大・中・小の3種の千世界から成るので「三千大千世界」(三つの千世界から成る大千世界)と呼ばれます。つまり、1000の3乗=10億の世界が「三千大千世界」です。
この「三千大千世界」が一仏の教化する範囲ということです。
10億の世界を教化するなんて、壮大な仏法を示す表現のように思えますが、我々は脳によって認知される「自分の世界」に住んでいると考えたらどうでしょう。
どんな世界に住んでいようと、我々を教化するはたらき・・・それが仏法です。
今や地球の人口は60億人以上ですので、三千大千世界では足りません。しかし、心配には及びません。「ガンジス川の砂の数ほどの仏」がいる。これも仏教の世界観です。
参考文献
株式会社岩波書店、岩波仏教辞典第二版(2004)
古代インドでは、須弥山(しゅみせん)を中心として我々の住む世界があるという世界観をもっていました。(「金輪際」のところで触れましたが)
その「須弥山世界」を一つの世界として、1000集まったものを「小千世界」、さらにこの小千世界を1000集めた世界を「中千世界」といい、中千世界をさらに1000集めたものを「大千世界」といいます。
この大千世界は,大・中・小の3種の千世界から成るので「三千大千世界」(三つの千世界から成る大千世界)と呼ばれます。つまり、1000の3乗=10億の世界が「三千大千世界」です。
この「三千大千世界」が一仏の教化する範囲ということです。
10億の世界を教化するなんて、壮大な仏法を示す表現のように思えますが、我々は脳によって認知される「自分の世界」に住んでいると考えたらどうでしょう。
どんな世界に住んでいようと、我々を教化するはたらき・・・それが仏法です。
今や地球の人口は60億人以上ですので、三千大千世界では足りません。しかし、心配には及びません。「ガンジス川の砂の数ほどの仏」がいる。これも仏教の世界観です。
参考文献
株式会社岩波書店、岩波仏教辞典第二版(2004)

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