- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

三千大千世界(2)2014年01月27日 20:50

 仏典に「三千大千世界」という言葉があります。

 古代インドでは、須弥山(しゅみせん)を中心として我々の住む世界があるという世界観をもっていました。(「金輪際」のところで触れましたが)
 その「須弥山世界」を一つの世界として、1000集まったものを「小千世界」、さらにこの小千世界を1000集めた世界を「中千世界」といい、中千世界をさらに1000集めたものを「大千世界」といいます。
 この大千世界は,大・中・小の3種の千世界から成るので「三千大千世界」(三つの千世界から成る大千世界)と呼ばれます。つまり、1000の3乗=10億の世界が「三千大千世界」です。

 この「三千大千世界」が一仏の教化する範囲ということです。

 10億の世界を教化するなんて、壮大な仏法を示す表現のように思えますが、我々は脳によって認知される「自分の世界」に住んでいると考えたらどうでしょう。
 どんな世界に住んでいようと、我々を教化するはたらき・・・それが仏法です。

 今や地球の人口は60億人以上ですので、三千大千世界では足りません。しかし、心配には及びません。「ガンジス川の砂の数ほどの仏」がいる。これも仏教の世界観です。


参考文献
 株式会社岩波書店、岩波仏教辞典第二版(2004)

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