- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

念仏奉仕団に参加しました2013年07月01日 21:35

 先日、京都の本願寺で清掃活動を行う「念仏奉仕団」に参加しました。

 今回、近隣寺院24ヶ寺で構成される「組」単位での記念すべき「第1回」でした。自坊単独では実施し難く、今まで念仏奉仕団が出来なかったのですが、当山の御門徒3名含む35名で本願寺の清掃をしてきました。

 本願寺にお昼に集合(いろいろな所から数団体参加、今回は約390人。今年度最多人数だそうです)して清掃活動。御門主と記念撮影をした後、一泊した翌日は午前中に清掃活動をしてお昼で解散というスケジュールでした。

 私たちは朝に集合して新幹線で京都まで移動して・・・という予定でした。が、私はお葬儀が入ったため、諸々終わった後での独り新幹線で京都入りとなりました。こういうことがあるから単独では実施できなかったんですよね。でも今回のように複数のお寺さんと一緒でしたら安心です。着いたのは夜でしたので、本願寺での奉仕活動には間に合わなかったのですが、夕食は皆さんと一緒にいただくことができました。
 
 翌日は朝6時の晨朝勤行から始まり、しっかり奉仕活動してきました。が・・・・、
前日の御門主との記念撮影に入れなかったのが心残りです。

どしゃ降り、落雷2013年07月05日 23:20

 しかし、本当に今時の雨は激しいです。

 先日の雷を伴った雨も、ワイパーを最大にしても前が見え辛く、車体をたたく雨の音で外の音もかき消され、移動するのも一苦労でした。傘をさしてもずぶ濡れです・・・。

 町内では封鎖された道がありましたし、となりの市では落雷があったそうです。怖いですね。

 今日こそ降らなかったですが、明日からまた天気が崩れるようです。
 日曜日はちょっと遠くで法事があるので、豪雨にならなきゃ良いけど・・・。

暑過ぎでしょ2013年07月08日 23:16

 空いている時間がそこしかなく・・・、
 昼下がりの一番暑い時期に草刈り。もちろん途中で休憩、水分補給を挟みつつですが、終わったときはくたくたでした。

 それにしても、
 今日のニュースで言っていましたが、熱中症で運ばれた人が千人以上。みんな危険性は分かっているのでしょうが、こう暑くては体調管理も難しいですね。甲府では38.6度ですか・・・。

仏説阿弥陀経の世界2013年07月12日 23:00

 さて、
 仏説阿弥陀経には極楽浄土の様子が記されていますが、その中に
「かの仏の国には、そよ風が吹き渡り、多くの宝の並木の羅網(宝珠を連ねた網)を揺り動かして、美しい音色をただよわせている。」
 と書かれています。あ〜、いい世界だなぁ・・・。


 ところで、
 今月は自坊が「連続研修会」の会所(会場)になっています。
 テーマは「浄土とは・・・」です。
 それぞれに普段感じている事を言い合い、お互いに聞き合う研修会です。どのような発言がでてくるでしょうか? 楽しみです!!

参考文献
 阿弥陀経ガイド第4版、山口教区基幹運動推進委員会情報教材部(2000)

連研がありました2013年07月19日 22:20

 昨晩は自坊で「連続研修会」が開かれました。「浄土とはどんなところでしょうか」というテーマでの「話し合い法座」です。

 「意見を評価する」とか「正解を求める」といった趣旨ではない会です。参加された皆さんは、それぞれの思いを口に出され、また他の方達の意見に真剣に耳を傾けていらっしゃいました。

 ところで、「言葉」とは不思議な物で、口に出したり記述したりすると、そのものが「実体」をもっているような錯覚を起こします。お経に書かれている浄土も、その言葉のままに「実体」として捉えようとすると難しくなってしまします。かといって「言葉」にしないと伝えることができませんし・・・。

 20世紀前半の哲学者ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」と言っていますが、語り得ぬものを語っているのが仏教ではないでしょうか。

周南市の事件2013年07月27日 23:13

 周南市での殺人放火事件のニュースが連日報道されています。容疑者の身柄が確保され、一段落というところでしょうか・・・。

 しかし、でてくる情報を見ていると、最初に事件を耳にしたときとの印象とかなり違って来ました。



 この事件の詳細(動機など)がどうなのかはまだ分かりませんが、こういったことに限らず私たちは「先入観」でものを見てしまいます。物事を「判断」するときに、それまでの経験や自分が得ている情報を基にするわけですが、それらは自分の中の「全て」ではあっても、世の中にある情報の「全てではない」はずです。言われてみればそんな事当たり前なのですが、実際はどうでしょうか?
 「あんたの意見はかたよっている。おかしい」とは言えても「自分の意見はかたよっている。おかしい」と言える人は少ないのではないでしょうか。もっともこれもある意味当然で、「自分の全情報」を駆使して判断したなら、それは偏っているとは思えないわけで、さんざん熟慮した結果「やっぱり自分は正しい」と結論づけてしまうのもしょうがないです。

 ですから、大切なのは「自分の判断とはそういうもの」という事を忘れないようにすることではないでしょうか。私たちはすべての情報を理解しているわけではないのですから。

怒!!2013年07月30日 22:59

 大分県の寺で行なわれたゲームで、児童が全裸になった件。

 そのお寺の住職が、どんなに「すばらしい住職」か知らないので、私の方がおかしいのかもしれないけど、そんなことをさせるなんてとても理解できません。
 「子供は喜んでいると思った・・・」と言っているようですが、この住職は「子供が他人を虐めて喜んでいるから・・・」といじめを推奨するんでしょうかね。園長もしているのに。

 まさに「末法」の世の中だ。。。

 一方、こちらは理解できます。
 周りの大人(幼稚園の職員とか)が住職を制止しなかったこと。
 みんな自分の事が一番大切なんですよね。当然です。

 こういった大人を見て育った子供がどうなるか。はぁ・・・