- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

お盆の月2013年08月04日 08:39

 こちらではお盆を「旧暦」でやるので、いよいよお盆勤めも本番です。
 まあ、一週間前くらいから「本番前の本番」が始まっているんですが・・・^^;

 にしても、今年は本当に暑いです。歳のせいじゃないよね。

広島に原爆が落とされた日(昨日)2013年08月07日 22:59

 昨日は広島に原爆が落とされた日でした。

 夕方(ほとんど夜)には近くの地区で法要が行われました。地区の住人からは「じょう」(たぶん「方丈(四畳半の部屋)」の「丈」だと思われる)と呼ばれている小屋に阿弥陀如来像が安置されていて、その前で「仏説阿弥陀経」をお勤めします。
 その後、法話をするのですが、暑い日が続いているので幽霊ネタで涼んで(?)いただきました。


 時期柄もあるのでしょうが、皆さん戦争の話をよくされます。実際に経験された当時の様子は生々しく、強く心に訴えかけるものがあります。海軍の話、陸軍の話、大陸からの脱出の話、隣の市で飛来した米軍機(沿岸の海軍施設などを攻撃しにくる)に銃撃された話、シベリアの収容所での話・・・。

 戦争の恐ろしさを伝える忘れてはいけない記憶の数々です。

子供は騒ぐもの・・・?2013年08月13日 11:58

 お勤めに行ってこういう話を聞きました。

 病院の待合室で、子供が騒いであまりにもうるさいので注意した所、その子の母親曰く、
 「子供は騒ぐものでしょ」
 ですって。
 巷でも良く聞く話です。

 騒ぐ子供を静かにさせようとして四苦八苦している母親を、
 「子供は騒ぐものだから・・・」
 と周りの他人が慰めるのなら分かりますが、母親が使うセリフじゃないんじゃないかなと思います。


 幼稚園に入る歳になるまで毎月の月忌勤めで、おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんといっしょにいた子は、今でも時々(休日とか)いっしょになるときはお勤めの間はきちんと静かに座っています。今日のお盆勤めもそうでした。お勤めが終わったら遊び始めるけど(さすが幼稚園児)。
 同じような年齢でも、そういった経験の無い子はお勤めの間じっとしていられないでしょう。実際法事で静かにできない幼児は多く見受けられます。

 これらのことが意味している事はなにか。いろいろ考えさせられます。(もっとも状況は非常に単純で、要はやるかやらないかなんですけどね。)

「供養」2013年08月15日 23:07

「供養」を手近な辞典で調べてみました。

○ [株式会社岩波書店 広辞苑第六版]
 〔仏〕三宝(仏・法・僧)または死者の霊に供物を捧げること。
   
○ [ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2011]
 ヒンドゥー教において特徴的な崇拝の一形式。一般に偶像の形をとった神に,花や,足をすすぐ水などが捧げられる。神像が神殿から出され,食物を供えられ,再び神殿中に祀られるという形をとり,バラモンの臨席を得て犠牲を捧げるベーダ中心の複雑な形式をもった供犠 yaja(動物を捧げる方法;筆者注)とは異なって,それと対照的に考えられるべきものである。仏教では,ブッダや,ブッダの教え,出家修行者への心身すべてをこめて種々な物を供えることをいうが,その内容によって,敬供養,行供養,利供養などの区別が立てられている。また,死者の霊などを弔うことも供養の一つと考えられている。

○ [株式会社岩波書店 岩波仏教辞典第二版]
 原語は,敬意をもって,ねんごろにもてなすこと.特に神々,祖霊や動植物の霊,さらには尊敬すべき人などに対して,供犠や供物を捧げること,またそれによって敬意を表すことを意味する.仏教では仏・法・僧の三宝(さんぼう)や父母・師長・亡者などに,香華(こうげ)・灯明(とうみょう)・飲食(おんじき)・資材などの物を捧げることをいう(供給資養(くきゅうしょう)).略して<供>とも.
(中略)
 なお漢語としては,父母を奉養すること,またその奉養する物品を意味する.『韓非子』外儲説左上・『戦国策』や,『詩経』蓼莪箋・『儀礼』既夕注・『礼記』曾子問注など鄭玄注に用例が見える.


「広説佛教語大辞典」には以上の意味に加えて、
①奉仕すること。
②尊敬心をもって仕え、世話すること。
とあります。

 今日は終戦記念日です。多くの人々がそれぞれの所に参拝し、戦死された方々を供養されたのではないでしょうか。
 さて、「どこそこへ行った行かない」とかまびすしい昨日今日ですが、ここはひとつ「供養」の原意に立ち戻って、先人が命懸けで守ろうとした日本に「奉仕」し「尊敬心をもって仕え、世話すること」が、戦争でなくなられた方々に対する最高の供養になるのではないでしょうか? ねっ、国会議員の方々?!
 そして、その究極の行く先が「世界平和」となればよいのですが・・・。



 ちなみに、浄土真宗の根本経典(一番大事なお経)である「仏説無量寿経」には、阿弥陀仏の四十八願のなかの第二十三願に「諸仏を供養し」のことばが見られ、この願が「供養諸仏の願」と呼ばれています。この場合の意味は「②尊敬心をもって仕え、世話すること」です。

参考文献
 広辞苑第六版、岩波書店
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版(2011)電子版
 中村元、福永光司、田村芳郎、今野達、末木文美士編集、岩波仏教辞典第二版、岩波書店(2002)
 中村元、広説佛教語大辞典、東京書籍
 教学伝道研究センター,浄土真宗聖典-注釈版第二版-、本願寺出版社(2004)

頑張れて良かった2013年08月31日 23:39

 暑かった事は言うに及ばず、今年は色々重なって、さらに怒濤の8月でした。

 始めは、
 前に勤めていた会社の同僚が山口県(しかも近く)に出張ということで、夜に会い行きました。久〜しぶりで沢山しゃべりまくりました!!!

 次に、
 朝から晩までお盆勤め、お盆勤め、草刈り、お盆勤め、年忌、お盆勤め、草刈り・・・・といった具合。雨も降らず、バイクで汗を乾かしながら(?)回っているような状態。

 お盆過ぎたら、
 毎年18日、19日は「盆会(ぼんえ)」があるのですが、法話をお願いしていた御講師が体調をくずされ来られないとのこと。早めに連絡はいただいたのですが、結局私が法話をすることに。(前席40分+後席40分)×4座(18ヒル・ヨル、19ヒル・ヨル)をお勤めしました。

 そうしたら、
 20日にプチ倒れて、半日うなってました・・・・T T

 最後は、
 毎年8月末の3日間ほど「仏教講習会」が開催されるのですが、今年は自坊を会所として、26、27、28日でしたので、その準備。主に片付けで、この機に気になっていたところに手を付けたりしたのですが、案の定終わらず、宿題が残ってしまった・・・。
 酷暑を心配していたのですが、前日まで結構な雨が降ったので、心配していたほどの暑さは無く、開催中は天気も崩れる事無く、無事に終了しました。

 
 と、こんな具合の今年の夏でした。
 私は怠け者なので、これくらいあったほうがいいんです。
 頑張れるってことは、本当に有難い事ですね。

 さて、仏教講習会の後片付けが残っているので、それを仕上げないとです。