- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

悪と往生2016年03月26日 21:24

 -親鸞を裏切る『歎異抄』 という、山折氏らしいラディカルなサブタイトルがついていたので期待していたら、期待はずれでした。
 これはもちろん、私の期待の方向が間違っていたもので、サブタイトルで変な先入観を持ってしまいました(反省)。

  山折哲雄、悪と往生 -親鸞を裏切る『歎異抄』、中央公論新社(2000)

 『歎異抄』とキリスト教の聖典である『聖書』を比するなど、「なぜ?」と思ったのですが、これは「歎異抄しか読まない一般の人向け」に書かれたものだろうと気が付きました。それからは面白く読めました。

 『歎異抄(たんにしょう)』とは、親鸞聖人の死後、浄土真宗の教えが正しく伝わっていない事に対して、聖人の言動を記しながら正しい信心を説いたもので、著者(親鸞聖人の直弟の唯円という説が有力)自ら歎異(親鸞聖人の教えと異なることを嘆く)」という題名をつけています。
 唯円が『歎異抄』「後序」の中で「親鸞聖人が話されたことの百分の一ほど」「同じ教えを受けた人以外には見せないで下さい」と書いているように、単独では不十分な性格の本であることは明らかです。ですので、山折氏が『聖書』と比べていることに違和感を覚えたのですが、『歎異抄』は人気があって多くの人に読まれているので、「『歎異抄』だけでは誤解するよ」と言いたかったのだと思っています。

 しかし、山折氏は『教行信証(親鸞聖人の著作)』から「還相回向(げんそうえこう)」を引いて、『歎異抄』では省かれていると唯円を散々批判しておきながら、最後の最後で、
「いま浄土で眠っているであろう親鸞が、同じ様に浄土の墓地に眠っているであろう唯円にむかって、・・・」
 と書かれているのを読むと、
あ〜、浄土真宗って難しいんだな〜と思わずうなってしまいました。。。

章題
 一、悪と罪
 二、「宿業」と「不条理」
 三、裏切る「弟子」
 四、唯円の懐疑
 五、唯円とユダ
 六、正統と異端
 七、個とひとり
 八、「親鸞一人」の位相
 九、「自然」と「無上仏」
 十、唯円の作為
 十一、往生について(1)
 十二、往生について(2)
 ◎『歎異抄』の参考テキスト
 あとがき

参考文献
 本願寺出版社、歎異抄(文庫版)現代語訳付き、本願寺出版社(2002)


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