- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

名利の太山2017年08月09日 20:58

「日焼けしちょるネ! ゴルフ!?」
と御門徒に言われて、悲しくなった自分が哀しい・・・

 そもそも、FBに写真投稿したりブログ書いたりっていうのは、「かこいい」とか「すごい」とか言われたいし、「いいね たくさん!」とかの欲求大爆発だから、予想と違うコメントだったり反応が薄いと不愉快になってしまう。
 「遊んでるって思われてる・・・」と悲しくなるのも、結局は「評価してほしい」という自分の欲求が満たされていないことへの反応。
 まったく、親鸞聖人が言われたところの『名利(みょうり)の太山(たいせん)に迷惑して』の私と思い知らされる。
 しかも、全く遊び事をしていないというのならともかく、遊びもたくさんしている自分に対して、「たまたま、それが遊びじゃなかった」だけなのに、それを非難しようとは考え違いも甚だしい。まさに『恥づべし傷む(いたむ)べし』。
(『』は顕浄土真実教行証文類(親鸞聖人)から引用)

参考文献
 本願寺教学伝道研究所編、顕浄土真実教行証文類(上)現代語訳付き、本願寺出版社(2011)