- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

比丘十八物その22010年12月06日 22:41

2. 澡豆(そうず)・・・澡は洗う、の意。手足や身体を洗うために用いる洗い粉。小豆などの豆類の屑やそれを粉にしたものでつくる。インドではふつう、さや豆を用いるが、ココナッツの油を用いることもある。洗濯のときに、石けんのように用いる豆。

3. 三衣(さんえ)・・・「さんね」ともよむ。インドの僧団で個人の所有を許された三種類の衣服。大衣と二種の上衣。大衣と七条衣と五条衣。(1)僧伽梨そうぎゃり(大衣・重衣)は、正装衣で街に托鉢に出たり、王宮に招かれたときに着る衣で、九ないし二十五条の布片を縫い合わせた一枚の布で、九条衣ともいう。(2)鬱多羅僧うったらそう(上衣・上着衣・中価衣)は、入衆衣などとよばれ、礼拝・聴講・布薩などに用いられ、七条の布片で製したから、七条衣などという。(3)安陀会あんだえ(中衣・中着宿衣)は、日常の作業や就寝のときに着用する肌着をいう。これらの色は鮮やかな正色ではなくて、濁った壊色と定められたので、カサーヤ(袈裟)ともよばれた。シナ・日本では三衣を形式化した種々の袈裟がつくられたが、七条・五条袈裟などは、インドの法衣の製法を伝えた名称である。比丘尼はこのほか三衣の下に着て左肩・両腋を覆う僧紙支そうぎし(覆肩衣)と、腰にまとう蕨修羅けっしら(下裾)を加え、尼の五衣というが、漸次、比丘にも許されるようになった。三衣の製法は細かく規定され、長短の小布片に切り、縦に縫い合わせ.これを規定の条数だけ績に縫い合わせたもので、区切られた形が田の形に似ているので、田相ともいう。その製法は部派によって細部は異なるが、シナ・日本でも華美になっても割截法を受け継いでいる。もとは捨てられたぼろ布を洗って製したから、糞掃衣ふんぞうえ(納衣)といわれ、墓地に捨てたもの、死人を包んだもの、鼠に食われたものなど十種(または四種)が定められていた。

広説佛教語大辞典(中村元、東京書籍)より抜粋

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kyousouji.asablo.jp/blog/2010/12/06/5562530/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。