- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」2010年02月03日 23:07

 この私的に非常に興味深い本の著者、スーザン・A・クランシーは、子供時代に性的虐待を受けたという人の「記憶」が本物かどうかという研究で論議を巻き起こした人物だそうだ。それに懲りた彼女は、エイリアンに誘拐されたという「絶対ありえない」記憶に研究テーマを移し、執筆したのが本書である。

 いわゆる逆行催眠による記憶の回復が、日本のメディアにも取り上げられたりする。『催眠は心理学的な自白薬のようなもので』『無意識の奥に隠れている過去の秘密をしゃべるしかなくなる』と思われがちだが、それは間違いだと断ずる。『たいていは役に立たないばかりではなく、偽りの記憶-現実の出来事ではなく、人から言われたり、自分で想像したりした出来事の記憶-をつくりだしやすく』するそうだ。
 記憶というのは私たちが思っているよりも、ずっと曖昧で不安定なものらしい。忘れるというのはもちろん、覚えているということも不確実だとしたら、ちょっと居心地が悪くなる。『ある事柄について鮮明に想像するほど、自分が想像したことなのか、以前に見た事なのか、はっきりしなく』なるということが、磁気共鳴映像法(MRI)を使って脳を調べた結果だそうだ。「実際に見た」かどうかすら曖昧になるというのは、衝撃的だ。「百聞は一見に如かず」と言うが、百一回聞いたら「見た記憶」になるのかもしれない。

 非難されることを承知で書けば、私はこの事と「犯人の証言」とを結びつけずにはいられない。つい最近もえん罪が発覚したが、科学的証拠が(当時の技術的な問題もあって)間違っていたということよりも、本人が「犯行を認める自白をした」というところに、問題があると思う。
 あるいは犯行時の心境について、一般人からするととても理解できないような発言をする被告もいる。あくまでも私の想像だが、こういった人たちは嘘をついているというより、偽りの記憶を作っている(作らされている?)のではないかと感じる。本人も「本当はどうだったか分からない」状態になっているのでは・・・。裁判員制度も始まったことだし、記憶というのは、場合によってはいくらでも作り変えられるということを認識しておくべきではなかろうか。(これを逆手に取る輩もいるだろう。)

 話がそれたが、興味本位で読み始めたこの本、以外に(失礼な!)深く考えさせられた。
(ちなみにこの本はここで知った。私の趣味が一つバレる・・・^^;)

参考文献 スーザン・A・クランシー(林 雅代 訳)、なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか、早川書房(2006)