- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

地球を救う為に肉食をやめられますか?2010年02月01日 23:54

 忙しかったので、またまたネタをBBC FOCUSに拝借。^^;

 Yes! もちろん全く肉食を止められるよ 24%
 Yes・・・3分の1にするのなら・・・    44%
 No!! 俺はステーキが食べたいんだ  32%


 さて、あなたは?
 Lancetによると、肉の消費量を3分の1にすると温室効果ガス問題が大きく改善されるそうだ。ついでに、心臓病の心配も15%くらい減るらしい。

参考文献 BBC FOCUS, Issue 212, February, p18 (2010)

佐合島2010年02月02日 21:33

 瀬戸内海国立公園に含まれる島です。人口は43人(平成19年4月2日)ですが、みんな大好きです。夏には船で海水浴に行ったりします。

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」2010年02月03日 23:07

 この私的に非常に興味深い本の著者、スーザン・A・クランシーは、子供時代に性的虐待を受けたという人の「記憶」が本物かどうかという研究で論議を巻き起こした人物だそうだ。それに懲りた彼女は、エイリアンに誘拐されたという「絶対ありえない」記憶に研究テーマを移し、執筆したのが本書である。

 いわゆる逆行催眠による記憶の回復が、日本のメディアにも取り上げられたりする。『催眠は心理学的な自白薬のようなもので』『無意識の奥に隠れている過去の秘密をしゃべるしかなくなる』と思われがちだが、それは間違いだと断ずる。『たいていは役に立たないばかりではなく、偽りの記憶-現実の出来事ではなく、人から言われたり、自分で想像したりした出来事の記憶-をつくりだしやすく』するそうだ。
 記憶というのは私たちが思っているよりも、ずっと曖昧で不安定なものらしい。忘れるというのはもちろん、覚えているということも不確実だとしたら、ちょっと居心地が悪くなる。『ある事柄について鮮明に想像するほど、自分が想像したことなのか、以前に見た事なのか、はっきりしなく』なるということが、磁気共鳴映像法(MRI)を使って脳を調べた結果だそうだ。「実際に見た」かどうかすら曖昧になるというのは、衝撃的だ。「百聞は一見に如かず」と言うが、百一回聞いたら「見た記憶」になるのかもしれない。

 非難されることを承知で書けば、私はこの事と「犯人の証言」とを結びつけずにはいられない。つい最近もえん罪が発覚したが、科学的証拠が(当時の技術的な問題もあって)間違っていたということよりも、本人が「犯行を認める自白をした」というところに、問題があると思う。
 あるいは犯行時の心境について、一般人からするととても理解できないような発言をする被告もいる。あくまでも私の想像だが、こういった人たちは嘘をついているというより、偽りの記憶を作っている(作らされている?)のではないかと感じる。本人も「本当はどうだったか分からない」状態になっているのでは・・・。裁判員制度も始まったことだし、記憶というのは、場合によってはいくらでも作り変えられるということを認識しておくべきではなかろうか。(これを逆手に取る輩もいるだろう。)

 話がそれたが、興味本位で読み始めたこの本、以外に(失礼な!)深く考えさせられた。
(ちなみにこの本はここで知った。私の趣味が一つバレる・・・^^;)

参考文献 スーザン・A・クランシー(林 雅代 訳)、なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか、早川書房(2006)

教育2010年02月04日 22:32

 たとえその時、その人にとって苦痛になろうとも、将来必ずその人の為になること。愛情に裏打ちされた厳しさ。それが「教育」だと思う。

 ○ 教育 → 教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動。(広辞苑第六版)

「植物状態」の患者に意識あり2010年02月05日 23:06

 CNN.co.jpによると、植物状態と診断された患者らの脳の反応を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で調べたところ、一部の患者に意識のある兆候が見られたそうだ。確かに外部から反応が確認できないからといって、意識がないとは言いきれないが、ちょっと恐ろしい話。
 去年、ベルギーでは23年前の事故で植物状態だと診断された患者に意識があったとのこと。コンピューターのキーボードを通して「叫びたかったが声が出なかった」などと訴えたそうだが、もし自分がそうなったらと思うと。。。
 この世界には、我々が想像だにできないことが、まだまだたくさんあるということ。

高台から瀬戸内を「パシャ」2010年02月06日 20:51

 高校時代にはなかった施設の近くを通ったので、海に向かって「パシャ」。
 衝撃的なのは、10年以上前に購入して「古くて使えねぇ〜」って思っていたナビのCD-ROM(全国版!)にちゃんと載っていた事。
  自分はどんだけ古いんだ・・・

政治の話はしたくないのだが2010年02月07日 20:19

 本当は政治の話はしたくないのだが・・・
 「知らなかった」で許される世界。
 ご門徒まわりをしても、皆さんあきれられてます。。。

妄想大爆発2010年02月08日 22:19

 現在は年忌法要も日にちをずらして、休日にあげるところがほとんどです。故に土日祭日は異様な忙しさなのですが、そのぶん普通の日は時間が空いたりします。
 そんな空いた時間は、かつて子供部屋として使われ、今や物置と化した部屋の片付けに費やしています。(といっても優先順位は低いのでなかなか手は回りませんが・・・)
 「運良く(?)、坊守(私の嫁)が決まった暁には、若夫婦(私たち)の住まいになるのだから・・・」というのが、唯一のモチベーション。
 もう、妄想大爆発!!

だから、衆愚政治って言葉ができたりするんだよね2010年02月09日 22:49

 その人がどんなに悪い事をしてようが、(他人に不利益が及んだとしても)自分たちに利益を誘導してくれる人を選ぶ。それが、The議会制度。
 それにしても、政治家(議員)になろうという人は、「世界史」と「化学」を必修してほしい。特権階級(権力者とか金持ちとか)が「我が世の春」を謳歌している時ほど「どんでん返し」は起りやすく、この世に「錬金術」なんて存在しないんだということに気づかないと・・・。粛々と鬱積してきたエネルギーは、臨界を超えた瞬間に大爆発しますよ。よろしく。

 ところで、私は理系を専攻していたにも関わらず、「共通一次試験」(古い〜)では「国語」と「世界史」の得点率が一番、二番でした(ということを、掃除していて見つけた自己採点表で思い出しました)。う〜ン・・・
 今回も、自虐ネタ落ち。。。

「神は妄想である」2010年02月10日 21:54

 この本の著者リチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」で世界中にその名を轟かせた生物学者で、日本でも20年くらい前(だったかな)にちょっとしたブームになったので、名前を聞いた事がある人も多いだろう。進化論とキリスト教は仲が悪いらしく、とうとうこんな本を執筆してしまった。
 この本で述べられる「神」とは、『もっぱらキリスト教を念頭においた』(といっても、ユダヤ教、イスラム教はキリスト教と合わせて『これら三つのアブラハム宗教を、一体不可分なものとして扱っても差し支えない』としている上での)『超自然的な神』だ。
 ちなみに『仏教や儒教のような他の宗教についてはいっさい気にしないつもりである。実際には、そうしたものは宗教ではまったくなく、むしろ倫理体系ないし人生哲学として扱うべきだという見方にも一理はある』だそうだ・・・。「仏教は多神教」と書かれなかっただけましだった(多神教としてヒンドゥー教などが挙げられている)。

 さて、本書は500ページ以上からなる大作で、紹介するのがなかなかたいへんなのだが、「ほとんど確実に神が存在しない理由」とか「宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?」などなどの章名で、科学的(ドーキンス的)考察が詳細に綴られている。
 私は最初「そりゃそうだよな・・・」と面白がって読んでいたのだが、宗教は「百害あって一理なし」的な内容は、仏教が除外されているとしても、かなり身につまされる。 ノーベル賞物理学者スティーブン・ワインバーグは『宗教は人間の尊厳にたいする侮辱である。宗教があってもなくても、善いことをする善人はいるし、悪い事をする悪人もいるだろう。しかし、善人が悪事をなすには宗教が必要である』と言ったそうだし、ブレーズ・パスカル(「人間は考える葦である」のパスカル)は『人間は、宗教的な確信をもっておこなっているとき以上に、完璧かつ快活に悪をなすことはない』と述べているらしい。昨今の世界情勢や、かつて日本で起った事件を考えると頷かずにはいられないところが、なんともやるせない気持ちにさせられる。

 しかし、ドーキンスは「迷信(盲信)を捨てよ!」と言いたいのだと思う。地球(宇宙)を創ったり、人を創ったりした、あるいは願いをかなえてくれるような『超自然的な神』は否定するが、『宗教に対しては敬意を払うべしという比類なき前提』に立っている。また、アインシュタインの有名な『宗教なき科学は足萎えであり、科学なき宗教は盲目である』という言葉等を引用して、仏教と同様『アインシュタイン的宗教』(超自然的人格神のない宗教)を本書の対象から除外している。訳者があとがきに記しているが、『おそるべきことに米国国民のなかで科学的な進化論を信じている人は、10%に満たない』そうだ。ドーキンスはこういった状況に苛立っているように思える。
 今は変わっているが、「浄土真宗の教章」には「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない。」という文言があった。この本を読み進めていくにつれ、ドーキンスが『神は妄想である』で言いたかった事は、実は仏教ととてもよく合っているのではないかと思うようになり、現代における浄土真宗の必要性というものを増々強く感じた。
 ドーキンスさん、門徒になりません?

リチャード・ドーキンス(垂水雄二 訳)、神は妄想である、早川書房(2007)