- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ
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雪が ― 2012年02月03日 22:16
うっすらと雪が(朝方だけ)積もりました。
「こんなの積もったうちに入らん!!」と言われる程度です。
山梨県にいた時は雪かきしてましたので、少しはその大変さが分かります。その何倍もの量が降る東北の方々の大変さは相当なものでしょう。
毎年、
「事故が起こらなければ良いけど・・・」って思っていますが、かといって雪かきしないわけにはいかないですし。隣り合わせですね。。。
寒さが数日和らいだ後、また寒波が来るようです。雪も沢山降るかな・・・
「こんなの積もったうちに入らん!!」と言われる程度です。
山梨県にいた時は雪かきしてましたので、少しはその大変さが分かります。その何倍もの量が降る東北の方々の大変さは相当なものでしょう。
毎年、
「事故が起こらなければ良いけど・・・」って思っていますが、かといって雪かきしないわけにはいかないですし。隣り合わせですね。。。
寒さが数日和らいだ後、また寒波が来るようです。雪も沢山降るかな・・・
ニュースが ― 2012年02月06日 22:13
ニュース見たく無くなっちゃいますね、いろいろと・・・。
しかし、
議員何期やっても「素人大臣です」って言うんなら(実際素人だけど^^;)、定年制にしなきゃっ。
若いと「勉強しようかっ」って気にもなるけど、食堂でコーヒー飲みながら愚痴こぼしてる人にはまかせてられないでしょう。
それでもって、
議員年金の代わりに、(出身地じゃない)過疎地の休耕田と廃屋を支給(クジで決める)。在職中にバレないように悪い事して貯めたお金(決めつけ^^;)で物品整えて家族迎えて、農耕生活。
さすがにこれじゃかわいそうなので、私設秘書も無理矢理くっつけて(人権が・・・)、しょうがないから所得税は免除。でも、保険料と当然消費税は払う。
晴れの日は農耕、場所によっては魚釣り。雨の日は本でも書いて印税を生活費の足しにしてくれっ。
そしたら、少しは真面目に仕事してくれるんじゃないだろうか。
いや〜、マニングすごいやっ!!
しかし、HTショーがマドンナって、私たちの世代にはバッチリだけど、ちょっと・・・。まあ、クイーンとか、大人のゲームってことなのかな。^^;
しかし、
議員何期やっても「素人大臣です」って言うんなら(実際素人だけど^^;)、定年制にしなきゃっ。
若いと「勉強しようかっ」って気にもなるけど、食堂でコーヒー飲みながら愚痴こぼしてる人にはまかせてられないでしょう。
それでもって、
議員年金の代わりに、(出身地じゃない)過疎地の休耕田と廃屋を支給(クジで決める)。在職中にバレないように悪い事して貯めたお金(決めつけ^^;)で物品整えて家族迎えて、農耕生活。
さすがにこれじゃかわいそうなので、私設秘書も無理矢理くっつけて(人権が・・・)、しょうがないから所得税は免除。でも、保険料と当然消費税は払う。
晴れの日は農耕、場所によっては魚釣り。雨の日は本でも書いて印税を生活費の足しにしてくれっ。
そしたら、少しは真面目に仕事してくれるんじゃないだろうか。
いや〜、マニングすごいやっ!!
しかし、HTショーがマドンナって、私たちの世代にはバッチリだけど、ちょっと・・・。まあ、クイーンとか、大人のゲームってことなのかな。^^;
袖振り合うもタショウの縁 ― 2012年02月09日 21:33
この「タショウ」を漢字で書くと・・・・多少?
正解は「他生」または「多生」です。
「他生」は今生(こんじょう;現在の生)に対して、前世や後生のことで、「多生」は幾度も生まれ変わって多くの生をうけることで、共に輪廻転生の思想を反映した言葉です。
「振り合う」は互いに触れる、または互いに振るということ。
道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による。すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿世の因縁によるという意味です。
例え些細な出会いだとしても、人と人との出会いは不思議なものであるということです。その出会いというものを大切にしなければいけないですね。
参考文献
辻本敬順・寄藤文平、くらしの仏教語豆事典(下)、本願寺出版社(2008)
中村 元、広説佛教語大辞典、東京書籍
広辞苑第六版、岩波書店
正解は「他生」または「多生」です。
「他生」は今生(こんじょう;現在の生)に対して、前世や後生のことで、「多生」は幾度も生まれ変わって多くの生をうけることで、共に輪廻転生の思想を反映した言葉です。
「振り合う」は互いに触れる、または互いに振るということ。
道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による。すなわち、ちょっとした出来事もすべて宿世の因縁によるという意味です。
例え些細な出会いだとしても、人と人との出会いは不思議なものであるということです。その出会いというものを大切にしなければいけないですね。
参考文献
辻本敬順・寄藤文平、くらしの仏教語豆事典(下)、本願寺出版社(2008)
中村 元、広説佛教語大辞典、東京書籍
広辞苑第六版、岩波書店
女王の遺言 ― 2012年02月13日 21:37
15世紀のイベリア半島に於いて、グラナダを陥落させレコンキスタ(キリスト教国の国土回復運動)を完成させた、カスティーリャ王国のイサベル1世(女王)のTV番組を見ました。
この女王は、コロンブスを支援したことでも有名です。
そのイサベル女王が皇太子夫妻に宛てた遺言が朗読されましたが、
「ただ税金を取るだけの為政者には、絶対になってはなりません」って。
耳が痛いね!
この女王は、コロンブスを支援したことでも有名です。
そのイサベル女王が皇太子夫妻に宛てた遺言が朗読されましたが、
「ただ税金を取るだけの為政者には、絶対になってはなりません」って。
耳が痛いね!
連続研修会 ― 2012年02月16日 22:19
今晩は御門徒の方々との車座(みんなが輪になって座る)形式の話し合い法座がありました。
テーマは「悪人正機」なかなか難しいテーマです。
「道徳的善悪と親鸞聖人の言われた悪は違う」というような事が言われたりしますが、私は時代の違いが大きいな〜と思っています。
親鸞聖人のいた時代は、鎌倉幕府が始まった頃です。飢饉が起ったり、戦乱が続いていた時代です。今、「平清盛」が放映されていますが、あの少し後の頃です。「庶民」の様子はあんな感じでしたでしょう。力の無い物は生きられない。「人間の尊厳」って何?といった時代だったと思います。その時代に於いて、多くの人々は自分が「悪」、少なくとも「善ではない」という自覚があったのではないかと思います。
でも今は(ちょっと前までは?)多くの人が正義を愛する善人として生きていけたのではないでしょうか? それがおかしいと言っている訳ではありません。素晴らしいことだと思います。
しかし、それが盲目的な過信につながると、周りはもとより自分をも苦しめる事になってしまうのではないかと思います。
以前、「精神的に健康な人間は、所謂『肯定的幻想』という幸せな病気にかかっていて、自分の能力や自分がコントロールできるできごとについて過大評価し、危険に対する弱さを過小評価している」というNatureの記事を紹介しましたが、この「肯定的幻想」が苦しみ、迷いのもとになるとするならば、それを打破するのが「自分は悪人である」という気付きではないでしょうか?
テーマは「悪人正機」なかなか難しいテーマです。
「道徳的善悪と親鸞聖人の言われた悪は違う」というような事が言われたりしますが、私は時代の違いが大きいな〜と思っています。
親鸞聖人のいた時代は、鎌倉幕府が始まった頃です。飢饉が起ったり、戦乱が続いていた時代です。今、「平清盛」が放映されていますが、あの少し後の頃です。「庶民」の様子はあんな感じでしたでしょう。力の無い物は生きられない。「人間の尊厳」って何?といった時代だったと思います。その時代に於いて、多くの人々は自分が「悪」、少なくとも「善ではない」という自覚があったのではないかと思います。
でも今は(ちょっと前までは?)多くの人が正義を愛する善人として生きていけたのではないでしょうか? それがおかしいと言っている訳ではありません。素晴らしいことだと思います。
しかし、それが盲目的な過信につながると、周りはもとより自分をも苦しめる事になってしまうのではないかと思います。
以前、「精神的に健康な人間は、所謂『肯定的幻想』という幸せな病気にかかっていて、自分の能力や自分がコントロールできるできごとについて過大評価し、危険に対する弱さを過小評価している」というNatureの記事を紹介しましたが、この「肯定的幻想」が苦しみ、迷いのもとになるとするならば、それを打破するのが「自分は悪人である」という気付きではないでしょうか?
まだバイクは ― 2012年02月20日 20:17
時間に余裕があれば、手前に車を停めて歩いていけば良いのですが、
「もう、間に合わない。バイクで行く!!」
って、久々にスクーターでお勤め。
首、手首、足首(肌が露出しているところ)が冷たくてちぎれそうでした・・・。
「もう、間に合わない。バイクで行く!!」
って、久々にスクーターでお勤め。
首、手首、足首(肌が露出しているところ)が冷たくてちぎれそうでした・・・。
役者が不足? ― 2012年02月22日 21:23
自分の力不足の事を
「役不足」と言うのは間違った使い方ですが、
「役者が不足している」っていうのもかなり変ですよね。TVで言っていたのが気になって。
「役者が不足している」っていうと、例えば、
「大臣にふさわしい人が全くいない現政権与党」
に対して使うのが正しいよね!!
「役不足」と言うのは間違った使い方ですが、
「役者が不足している」っていうのもかなり変ですよね。TVで言っていたのが気になって。
「役者が不足している」っていうと、例えば、
「大臣にふさわしい人が全くいない現政権与党」
に対して使うのが正しいよね!!
衣食足りて礼節を知る ― 2012年02月23日 21:18
「倉廩(そうりん)実(み)ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」
「民は生活が豊かになって初めて、道徳心が高まって礼儀を知るようになる」という意味です。(広辞苑第六版)
いつも行く自坊近くの理髪店で髪を切ってもらっていたら、ママさんが
「衣食足りて礼節を知るというけど、今の日本はおかしいね・・・」と言われました。法要には最低一席は必ず娘さんとお参りされる方で、髪を切ってもらいながら仏法の話もよくします。
それについて、ふっと思う所がありましたが、とっさにまとまらなかったので、
「そうですね〜」とだけつぶやきました。
帰ってきてから、それについて思いを巡らせ・・・。
人間といえども動物なので、自己の生存に対する欲求はなによりも強く、飢えてくるとなりふり構ってられないものです。ですから、「衣食」特に「食」の安心がないと道徳云々は消し飛んでしまうでしょう。それがホモサピエンス。食の心配がなくなり余裕がでてきてこそ、周りに目を向け、また自分に目を向けることができるのでしょう。
そういった意味では、豊かな(豊かだった)日本は
「衣食足りて礼節を知」っていた人々は多かったと思います。今までは。
では何故「衣食足りて礼節を知らない」ように見えるようになってしまったのか?
私は「足る」という部分に問題があると感じてます。
手短に言うと、「足りてる」と感じる人がいなくなっている。一昔前、あるいは多くの他国からみれば豊かなはずなのに、そんな状態しか知らない我々は「足りてる」と感じる事ができなくなっていると思います。よって、常に「足りない、足りない」と思い、ささいなことを「自分の生存が脅かされている」と錯覚してしるんじゃないでしょうか。
結果、他人はもちろん「身内も敵だ」状態に陥っているのでは。
確かに以前より豊かさ(特に物質的な)は減っていますが、それでも「まだ足りてる」と思えないと「道徳心」は低下する一方でしょう。しかし、そう言っているうちに「衣食不足」する人々は確実に増えて「礼節」どころでは無い社会に・・・。
「倉廩(そうりん)空いて尚(なお)礼節を知り、衣食足りず尚(なお)栄辱を知る」(釋俊成)
私含めこれからの僧侶にできるかしらん??
「民は生活が豊かになって初めて、道徳心が高まって礼儀を知るようになる」という意味です。(広辞苑第六版)
いつも行く自坊近くの理髪店で髪を切ってもらっていたら、ママさんが
「衣食足りて礼節を知るというけど、今の日本はおかしいね・・・」と言われました。法要には最低一席は必ず娘さんとお参りされる方で、髪を切ってもらいながら仏法の話もよくします。
それについて、ふっと思う所がありましたが、とっさにまとまらなかったので、
「そうですね〜」とだけつぶやきました。
帰ってきてから、それについて思いを巡らせ・・・。
人間といえども動物なので、自己の生存に対する欲求はなによりも強く、飢えてくるとなりふり構ってられないものです。ですから、「衣食」特に「食」の安心がないと道徳云々は消し飛んでしまうでしょう。それがホモサピエンス。食の心配がなくなり余裕がでてきてこそ、周りに目を向け、また自分に目を向けることができるのでしょう。
そういった意味では、豊かな(豊かだった)日本は
「衣食足りて礼節を知」っていた人々は多かったと思います。今までは。
では何故「衣食足りて礼節を知らない」ように見えるようになってしまったのか?
私は「足る」という部分に問題があると感じてます。
手短に言うと、「足りてる」と感じる人がいなくなっている。一昔前、あるいは多くの他国からみれば豊かなはずなのに、そんな状態しか知らない我々は「足りてる」と感じる事ができなくなっていると思います。よって、常に「足りない、足りない」と思い、ささいなことを「自分の生存が脅かされている」と錯覚してしるんじゃないでしょうか。
結果、他人はもちろん「身内も敵だ」状態に陥っているのでは。
確かに以前より豊かさ(特に物質的な)は減っていますが、それでも「まだ足りてる」と思えないと「道徳心」は低下する一方でしょう。しかし、そう言っているうちに「衣食不足」する人々は確実に増えて「礼節」どころでは無い社会に・・・。
「倉廩(そうりん)空いて尚(なお)礼節を知り、衣食足りず尚(なお)栄辱を知る」(釋俊成)
私含めこれからの僧侶にできるかしらん??
大欲不知足? ― 2012年02月27日 20:27
前回の記事に「少欲知足」について引用とコメントを頂きましたが、私たちは「大欲不知足」かな? 故に「少欲知足」とわざわざ言わなければいけない。ま、あたりまえか・・・。と言いますか、生物がそういう進化をしてきたのでしょう。
むしろ「満足したらそれまで」って論調が主流でしょう。
一方で、少ないエネルギー消費量でより多くの獲物(エサ)を獲得する方が有利なので、獲得量が変わらないなら、できるだけエネルギー消費(労働)を少なくする。これも当たり前のことでしょう。
日本の経済は厳しいです。今日も大手半導体メーカーが会社更生法申請したニュースが・・・。
労せずお金を手に入れられる立場の人々は増々そうするし、あらゆる力を行使してそういうシステムを作り上げるでしょう。
その中で、今の僧侶達(特に権力を行使できる立場の)は正気を保っていられるのか?
後の歴史書に記述されて、
「こいつら、また同じ事やってら・・・。これじゃ、〇〇○宗は無くなるはずだ。」
って笑われないようにしないと。
むしろ「満足したらそれまで」って論調が主流でしょう。
一方で、少ないエネルギー消費量でより多くの獲物(エサ)を獲得する方が有利なので、獲得量が変わらないなら、できるだけエネルギー消費(労働)を少なくする。これも当たり前のことでしょう。
日本の経済は厳しいです。今日も大手半導体メーカーが会社更生法申請したニュースが・・・。
労せずお金を手に入れられる立場の人々は増々そうするし、あらゆる力を行使してそういうシステムを作り上げるでしょう。
その中で、今の僧侶達(特に権力を行使できる立場の)は正気を保っていられるのか?
後の歴史書に記述されて、
「こいつら、また同じ事やってら・・・。これじゃ、〇〇○宗は無くなるはずだ。」
って笑われないようにしないと。
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