- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

「風刺」文化2015年01月09日 21:15

 フランスで大変な事件が起きていますが、きっかけは「風刺画」だと言われています。

 「風刺」をブリタニカ国際大百科事典(小項目版)で引いてみると、

『個人の愚行,政治の欠陥,社会の罪悪などに対する批判や攻撃を,機知に富んだ皮肉,あざけり,あてこすりなどの形で表現した詩文。』

 とあります。まあ、いきおい悪口になりかねない(ほとんどなっている?)表現手法ですが、それだけに作り手も受け手も技術がいる事なのではないでしょうか?

 特に強く思うのは、「風刺」というのはある意味「身内」にしか向けてはいけないことなのではないか、という事です。

 そこには、
 『「上以風化下、下以風刺上」=上は以て下を風化し、下は以て上を風刺す』
    [改訂新版 漢字源 株式会社学習研究社]
 と詩経にあるように、
確然とした「上下関係」の中で、しかも下→上へという一方的な方向性が存在するから成り立つのではないでしょうか。直接言えないから風刺する。上下関係が存在するということは、同一グループ内とか、組織内とか、為政者と市民とか、そういう範疇であるということではないでしょうか。

 件の風刺画への批判に対して、表現の自由云々といった論調があったように記憶していますが、何でもかんでも「風刺の対象」として良いとは思わないんですけど。
 例えば、取引相手の会社社長の風刺画を社内報に載せちゃったりできないでしょう。それとも「風刺がわからないなんて、劣った文化だな〜」とでも言うつもりなのでしょうか?


 もちろん、今回の襲撃事件に対して犯人を擁護するつもりはないですし、襲撃されて当然だとも思っていません。しかし、こういう事件が起きて沢山の被害者がでてしまった事に対して、「言論の自由への挑戦」みたいな事を聞かされると、違和感を覚えてしまいます。

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