- ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ水泡(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。-『方丈記』より
 関東にある企業の研究所に勤めた後、山口にある実家のお寺に僧侶として戻ってきた筆者のブログ

勝って嬉しい 負けて悔しい2010年01月11日 23:13

 全国高校サッカー選手権で、山梨学院大学付属高校が初出場初優勝を成し遂げました。おめでとうございます! 私も山梨に住んでましたので、なんだか嬉しくなりました。一方、山口県は県立山口高校が17年ぶりに代表になったのですが、1回戦敗退でした。残念!
 しかし、この気持ちはどこから来るのでしょう? 自分に利益が、あるいは損失があるわけではないのに、嬉しくなったり悔しくなったり・・・ 今回は「県」という範囲ですが、昨年のMLBワールドシリーズで松井秀喜選手がMVPに選ばれた時、「日本人として」とても嬉しく思いました。範囲はぐーっと広がってますが、私個人に直接影響がないのは同じです。それぞれに 「共通項」 を見つけて (それも自分勝手に) 喜んだり悲しんだり。個人的に一喜一憂しているだけなら問題もないのですが、 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、ひいきにしているチームの対戦相手のサポーターと喧嘩したりしだすと、もう敵味方含めて大迷惑です。
 小さくすれば「隣の芝生」も気になりますが、広げれば「同じ国出身」という立場で共感できます。もっと広げれば 「地球人」という「共通項」 で共感することもできるでしょう。
 まあ、しかし、これは 「利害関係」 がない場合です。 「利害関係」 が介在すると、とたんに狭くなるのが我々(いや生物というべきか)です。 世界中の人々が共感しあえる日というのは、永遠に来ないのでしょうか?